感謝


たとえ天涯孤独の人でも、一人で生きているわけではない。衣食住は言うに及ばず、何らかのかたちで他人と関わりつつ、社会の恩恵を受けて暮らしている。

そのことのありがたさを心に刻み、少しでも恩に報いるべく、自分のできることをしていく。社会の向上発展、周囲の人々の幸せに資するよう努めていく。そこに生きる意義があり、生きる価値があるといえよう。

社会の発展のため、他人の幸せのためなどというと、自分にそんな力はない、日々の生活に精一杯で他を顧みる余裕などないという人もあるかもしれない。

しかし社会とつながっているということは、お互いにその中の意味ある一員だということ。決して無用な存在ではない。また一人ひとりがそうした気持ちをもたなければ、この世は索漠としたものになってしまう。そしてそれは他人のためだけではない。誰かの役に立っていると思えば、それだけで人は生きていけるのである。

仕事や人生に倦んだら、周りの恩恵に目を向けてみたい。感謝の心を常に忘れずにいたい。

広告

岩波新書新赤版1000点に際して


ひとつの時代が終わったといわれて久しい。だが、その先にいかなる時代を展望するのか、私たちはその輪郭すら描きえていない。20世紀から持ち越した課題の多くは、未だ解決の緒を見つけることのできないままであり、21世紀が新たに招きよせた問題も少なくない。グローバル資本主義の浸透、増悪の連鎖、暴力の応酬、世界は混沌として深い不安の只中にある。

現代社会においては変化が状態となり、速さと新しさに絶対的な価値が与えられた。消費社会の深化と情報技術の革命は、種々の境界を無くし、人々の生活やコミュニケーションの様式を根底から変容させてきた。ライフスタイルは多様化し、一面では個人の生き方をそれぞれが選びとる時代が始まっている。同時に、新たな格差が生まれ、様々な次元での亀烈や分断が深まっている。社会や歴史に対する意識が揺らぎ、普遍的な理念に対する根本的な懐疑や、現実を変えることへの無力感がひそかに根を張りつつある。そして、生きることに誰もが困難を覚える時代が到来している。

しかし、日常生活のそれぞれの場で、自由と民主主義を獲得し実践することを通じて、私たち自身がそうした閉鎖を乗り越え、希望の時代の幕開けを告げてゆくことは不可欠ではあるまい。そのために、いま求められていること――それは、個と個の間で開かれた対話を積み重ねながら、人間らしく生きることの条件について一人ひとりが粘り強く思考することではないか。その営みの糧となるものが、教養に外ならないと私たちは考える。歴史とは何か、よく生きるとはいかなることか、世界そして人間はどこへ向かうべきなのか――こうした根本的な問いとの格闘が、文化と知の厚みを作り出し、個人と社会を支える基盤としての教養となった。まさにそのような教養への道案内こそ、岩波新書が創刊以来、追及してきたことである。

岩波新書は、日中戦争下の1938年11月に赤版として創刊された。創刊の辞は、道義の精神に則らない日本の行動を憂慮し、批判的精神と良心的行動の欠如を戒めつつ、現代人の現代的教養を刊行の目的とする、と謳っている。以後、青版、黄版、新赤版と装いを改めながら、合計2500点余りを世に問うてきた。そして、いままた新赤版が1000点を迎えたのを機に、人間の理性と良心への信頼を再確認し、それに裏打ちされた文化を培っていく決意を込めて、新しい装丁のもとに再出発したいと思う。一冊一冊から吹き出す新風が一人でも多くの読者の許に届くこと、そして希望ある時代への想像力を豊かにかき立てることを切に願う。(2017年4月13日)

14歳のための宇宙授業―相対論と量子論のはなし [著]佐治晴夫


■数式を一編の詩と見なして読む

 音楽に携わって以来常々感じていたことだが、音楽と物理学はどこかでつながっているという気がする。音楽にも方程式のような考えがあり、過去の偉業(あるいは名曲)の蓄積の上に成り立つ発見があるなど、そこに共通点があると思うのだ。だからなのか、演奏も一流、学問も一流という学者は意外と多い。
 著者もその一人であり、ピアノを流麗にこなす。もし自分にも数学的素養があれば物理学者になれたのかもしれない。しかし数式を見ると気が遠くなる人間にはむずかしいだろう。いったいどこで数式が苦手になったのか。本書の表題にある「14歳」という年齢にはどんな意味が込められているのだろう。
 中学生の頃の自分に当てはめてみれば、確かにサイエンスフィクションに没頭していた。宇宙の謎や世界の不思議な出来事に対する好奇心も旺盛で、知識の吸収力も強かった。とはいえ空想科学から物理学への道は1本ではない。「神の数式」といわれる数学への理解力が必須なのだ。
 ところが著者は、数式を一編の詩と見なして読めばよいという。季節や月ごとの時候から始まる各章には宇宙や星の物語が綴(つづ)られ、複雑な交響曲の上に乗る旋律を心地よく辿(たど)るように、難解な物理学を背景にした相対論や量子論を解きほぐす。その手法はまさに「物知り博士」から14歳の少年少女に届く手紙のようだ。
 これなら物理学に近づける。本書からは好きな物理学者ガモフの面白おかしい試みとは別の、感性や物語性を重視した著者の「宇宙論のソナチネ」という考え方がくみ取れる。また本書には漢字にルビが振ってあるおかげで、14歳の少年の気持ちになって読めた。
 物理学に深く興味を持った読者には重要な方程式も網羅されている。著者が映画「コンタクト」の原作者で天文学者・SF作家のカール・セーガンにインスピレーションを与えたという伝聞にもうなずける。
    ◇
 さじ・はるお 35年生まれ。「ゆらぎ」研究で知られる理論物理学者。著書に『14歳のための時間論』ほか。

奇想、宇宙をゆく―最先端物理学12の物語 [著]チャウン


■硬直した日常を超えて、仮説の世界へ
 
 一般の人が「科学的だ」と感じることができるのは、ニュートン力学とせいぜい電磁気学までだ。事実、前世紀のはじめにはそれで宇宙の森羅万象のほとんどが説明できると信じられていた。ところが、その後出現した相対論と量子論は、私たちの日常感覚から程遠い、時間や空間の歪(ゆが)み、素粒子の奇妙な振る舞いを明らかにし、かえって謎を深めてしまった。
 本書は、謎が謎を呼ぶ最新の物理学の十二の仮説を、一般向けに平易に解説している。著者は、この分野の深い理解と、それをやさしく噛(か)みくだいて説明する才能に恵まれているが、それでも一見荒唐無稽(こうとうむけい)な話に戸惑う読者が多いだろう。
 この宇宙は、別の宇宙に住む知的生命体が、日曜大工さながらに実験室で生み出したとする第九話は、科学的仮説に必要な蓋然性(がいぜんせい)が不足の感がある。多宇宙仮説は、正統的な多世界解釈(第二話)から、通常の物質と鏡像関係にある不気味なミラー宇宙(第七話)、そして余分な次元が様々に縮退した多様な宇宙(第八話)などが紹介されている。宇宙はミニ・ブラックホールに満たされていると説く第六話も含めて、まっとうな仮説だろう。
 私が思わず膝(ひざ)を打ったのは、「素粒子は微小な時間のループ(閉じた輪)だ」と説く第四話だ。相対論では、重力を時空間の歪みとして説明する。その歪みが極端になるとループしてしまうことも理論上あり得る。空間のループも考えにくいが、時間のループはもっとややこしい。過去も未来もごっちゃになって、因果律がおかしくなるからだ。そのため、アインシュタインはこの可能性を無視した。でも因果律を絶対視しなければ、きわめて筋のいい仮説であり、今後の発展が期待できる。
 相対論と量子論は水と油のように相性が悪く、その統一はあらゆる物理学者の夢だった。従来は量子論を拡張して相対論を導こうとして失敗していたが、この仮説は逆に相対論から量子論を導こうとしている点がユニークだ。
 本書は、硬直した現代人の脳ミソをぐちゃぐちゃに引っかき回すことは間違いない。
 評者・天外伺郎(作家)
   *
 長尾力訳、春秋社・329ページ・2415円/Marcus Chown 60年生まれ。英科学誌「ニューサイエンティスト」顧問。

重力の再発見―アインシュタインの相対論を超えて [著]ジョン・W・モファット


■反骨精神あふれる暗黒物質無用論

 宇宙の闇に潜むとされる暗黒物質の正体探しは、21世紀科学の一大テーマとなっている。そこに、ちょっと待った、と声を上げたのがこの本だ。
 1930年代、目に見えない物質の重力なしには遠くの銀河の動きを説明できないという見方が出た。暗黒物質説である。これを支持する状況証拠は相次ぎ、近年の衛星観測は、全宇宙の物質とエネルギーを合わせたものの4分の1ほどが謎の暗黒物質、とはじき出した。
 その結果、地底に検出器を構えたり、巨大加速器を使ったりしてこの物質の正体を探る計画が進み、いまや「国際的な科学産業となっている」。
 だが、アインシュタインの相対論を手直しすれば大量の暗黒物質など要らない、と著者は考える。帳尻合わせを、物量ではなく理論の調整によって果たそうというわけだ。それは、たやすいことではなく、手直しの失敗例は後を絶たない。「いくつもの修正重力理論が墓地に埋葬されている」という。
 著者は、重力の定数は不変でないとしたり、未知の力を想定したりして、なんとか満足のいく理論にたどり着く。
 そんな野党精神の矛先は、ほかの有力学説にも次々に向かう。宇宙は誕生直後に急膨張したとするインフレーション理論、物質の究極の単位は極微のひもだとする超ひも理論……。
 光速不変の鉄則を緩めて宇宙の急膨張を不要とする戦術は、暗黒物質無用論にも通じる。
 著者は「二〇歳のときに、最晩年のアインシュタインと手紙をやりとり」した世代。最近の物理学を「砂上の楼閣のごとき数学理論を構築するのが流行している」と批判して「検証にそぐわない試みは、いずれ実を結ばずに枯れる」と断じる。
 首をひねりたくなる個所もないではない。それでも手にとって読む値打ちはあろう。
 事業仕分けで、日本でも納税者と科学者との対話の機運が高まっている。それを進めるには納税者も学界が一色ではないことを知っていたほうがよい。
 そのことに気づかせてくれる反骨の一冊だ。
    *
 水谷淳訳、早川書房・2520円/John W. Moffat 32年生まれ。トロント大学名誉教授。物理学者。

科学ジャーナリズムの先駆者 評伝 石原純 [著]西尾成子


■物理学のあり方論じた真の学者

 「石原純」という名前は、多くの人にまずなじみがないことだろう。とすると、「科学ジャーナリズムの先駆者」という表題だけでは、やや誤解を招くかもしれない。
 著者が冒頭で記しているように、何より、第一級の理論物理学者であるからだ。20世紀初め、物理学に革命をもたらした相対論や量子論について、日本で最初の論文を発表し、議論をリードした。
 歌人でもあり、岩波書店の月刊誌「科学」が1931年に創刊された時の初代編集主任も務めた。物理学や科学に関する数多くの著作は、湯川秀樹、朝永振一郎といった、後のノーベル賞受賞者たちが物理学の道に進むきっかけともなった。
 その初の評伝である。
 これだけの科学者の名があまり知られていないとは。不思議ですらある。
 妻子ある身での恋愛がスキャンダルになり、42歳で東北帝大教授を退職したこともあるのだろうか。以来、研究からは身を引き、科学を論じ、伝える側に回った。
 「科学」11月号の対談で、江沢洋・学習院大名誉教授は「石原のような生き方をした人を物理学者と認めないのは日本の物理学の大変な不幸だと思う」と語っている。伝えることは本来、学者そのものの責任であり、物理学がいかにあるべきかを論じる人も物理学者だ、とする。
 石原の一貫する主張は、社会の健全な発展のためには自由な科学研究が不可欠だ、というものだ。真の科学振興は、合理的かつ独創的な思考を育むことだとして、科学教育の重要性を訴え、戦時中の政策を批判した。
 終戦後の9月、ただちに復刊した「科学」の巻頭言は「科学と自由」、続く10月号は「気宇を広大に」である。その後まもなく、交通事故がもとで帰らぬ人となる。
 その生涯と主張は、今日の科学と科学者のあり方にも、大きな示唆を与えてくれる。
    ◇
 岩波書店・3570円/にしお・しげこ 35年生まれ。日本大学名誉教授。『こうして始まった20世紀の物理学』。

主役はダーク [著]須藤靖/科学を語るとはどういうことか [著]伊勢田哲治


■怒り心頭の物理学者、科学哲学者と大激論

 『主役はダーク』は破格の科学エッセーだ。最新の天文学、宇宙物理学を独特の諧謔(かいぎゃく)を交えて語る。
 宇宙は膨張しており、物質は希薄になっていくはずなのに、我々の世界(例えば地球)が物質に満ちているのは、ダークマターのおかげらしい。いまだ直接観測されていないが宇宙の22%を占め、局所的な密度を上げるのに貢献しているという。一方ダークエネルギーはさらに圧倒的で宇宙の74%! 万有引力ではなく、互いに反発する斥力を働かせ、宇宙が一貫して膨張する性質を与えてきた。どちらも物理学で真面目に議論される有力仮説だ。
 ともすれば難しくなりそうなテーマだが「最近の世の中は何か暗い」の一文で始まり、国家予算の赤字やら大学生の就職率について嘆きつつ、気づけば宇宙のど真ん中に誘われている。爆笑、苦笑と科学が隣り合わせる筆さばきだ。
 なお、本書には「仮想敵」が配されている。それは科学哲学。現代科学から周回遅れになっており、なおかつ、見当外れだというのだが、その問題意識が、著者(物理学者)と科学哲学者の対談『科学を語るとはどういうことか』として結実した。
 物理学者は「科学者が受け入れられないような科学像」を科学哲学が作っていると怒り心頭だ。例えば、素粒子の存在を疑う極端な反実在論(構成的経験主義)など意味不明であり、科学哲学は科学者に役立つ提案をすべきだと訴える。
 一方、科学哲学者は、長い間、同じ問題をいろいろな角度からつつきまわしているのを認めつつ、なぜ科学が成功しているのか、科学とはどのような営みなのか知りたいという。「鳥に対する鳥類学者」とよく言われるそうだ。しかし、研究の結果が科学者にとっても刺激を与えるものであればさらによい、とも。実際、科学の新分野の立ち上げに科学哲学が参照される事例が、脳科学、認知科学、分類学などであるという。
 結局、議論は見事なまでにかみ合わずに終わる。ただ、無益というわけでもなく、読者は哲学系の粘り強い(それどころか、ねちっこい)考え方を知るだろうし、物理学者が科学哲学についてダメ出ししているうちに哲学者めいてくるのも目撃する。『主役はダーク』とあわせて読めば、宇宙物理学の最先端が「哲学」めいていることも分かりさらに興味深い。
 なお、本書では追究されないが、科学哲学が社会における意思決定に役立つかどうかという問題もある。これについては、著者(科学哲学者)らが編んだ『科学技術をよく考える』が4月に出たばかり。一連の著述をひとつながりのものとして捉えたい。
    ◇
 『主役は…』毎日新聞社・1785円/すとう・やすし 58年生まれ。東京大学教授(宇宙物理学)▽『科学を語る…』河出ブックス・1575円/いせだ・てつじ 68年生まれ。京都大学准教授(科学哲学)